Eventide Split EQレビュー Split EQで考える「トランジェントとは?」
ジャズ音源のミキシングでは、よくウッドベースが出てきます。ウッドベースをミキシングしているとよく遭遇する悩みが、弦のアタック音、原画フレットに当たる音などの立ち上がりの音に関する音量をコントロールしたいというものです。ざっくり言えばバチバチうるさいときにアタック音だけ抑えてアタック音以外の高域はキープしたいというニーズです。
旧来のエフェクトでは難易度が高く、イコライザーとコンプレッサーを複合的に使うことで対応しますが、それでも理想に対して少し近づける程度。近代のエフェクトではダイナミックEQやトランジェントシェイパーでかなり近いところまでできますが、それでも理想には至りません。簡単に問題点をまとめると、必要ない音が変化してしまうのです。バチバチを下げたいだけなのに、響きの部分も下がってしまうということです。
テクノロジーが進んだのでなにか解決策がないかと探していたところ、、、見つけてしまいました。Eventide Split EQというプラグインエフェクトです。筆者のような年代の人だとEventideといえばハーモナイザーしか思い出さないのですが(苦笑)、近年はきっちり最近のエフェクトも色々リリースしており、先進的なプラグインなどもリリースしています。その中のひとつがEventide Split EQです。
このプラグインは初心者にはオススメしません。
「〜を〜したい」という音作りの感覚が確立されていないと使いこなすことができないというのが理由。また、Split EQありきでミキシングを覚えると、Split EQ無しでは音作りができなくなるかもしれません。
EQ・コンプでひとしきり試行錯誤した後に使えばまさにリーサルウエポン。視界が開けるようなプラグインエフェクトです。
動画版ではアコギとスネアで使ってみた音が聞けます。
目次
Split EQとは?
Split EQとはその名の通りイコライザーであり、6ポイント+LCF/HCFが搭載された普通のイコライザーとしても使うことができます。
普通のイコライザーと異なる点はズバリ、トランジェントとトーナルという2つの要素に分けてイコライジングを行うことができるということです。ウッドベースやギターで言えば弦のアタック音とその後に続く響きを別々に調整できるということです。
例えば以下ののように、ひとつのEQポイントについて緑と青の2つのパラメーターでコントロールが可能で、それぞれ独立して動作します。緑がトランジェントという要素、青がトーナルという要素です。バラバラに操作するためにEventide独自のStructural Split(ストラクチュラル・スプリット)テクノロジーが使われています。
トランジェントとトーナルはEQポイントごとに調整することもできますが、右側のフェーダーを使って全体でまとめてコントロールすることも可能です。この使い方はWaves Amack Attack等のトランジェントシェイパーと同じような効果が得られます。
結論的には、他の複数のプラグインで多くの工程を経て行っていたことがSplit EQ1台で済みますので、持っていた方が良いイコライザーであると言えます。ただし、ミキシングがある程度できる人でないと持っていてもどう使えば良いかわからず、ただのイコライザーになってしまうでしょう。
また、歌ってみたMIX等のボーカルミキシングよりは生楽器を扱うパラミックス、またはマスタリングで有用なプラグインだと感じました。
そもそもトランジェントとは?
Split EQで操作できるトランジェントとはそもそもどういう音を指しているのか、改めてまとめてみましょう。
ざっくり言えば音の輪郭です。
様々なエンジニアさんの言葉を聞いていくと、厳密にはもっと深いニュアンスが含まれています。例えば音の立ち上がりに含まれる情報を包括的に捉えてトランジェントと呼ぶこともあります。が、日英翻訳のようなものでピッタリの日本語や定義を当てはめるのが難しい用語でもあります。「あーこういうのがトランジェントなのか」という感覚は次第に身についていくと思いますので、よくわからなければ「音の立ち上がりの部分に集まっている輪郭を決める要素」だと考えておきましょう。
トランジェントをあげると輪郭がくっきりするということです。
絵で考えるとわかりやすいでしょう。
輪郭はあってもなくても成立しますが、輪郭がある方がくっきりしており、他の要素が増えても見つけやすい状態を保つことができます。また、輪郭の濃さ(透明度)だけでなく太さや線種によって印象が変わってきます。
Split EQはこの輪郭の透明度をコントロールできるプラグインだと思えば良いでしょう。
なお、TONAL(トーナル)という用語はSplit EQで初めて聞きましたので、オリジナル用語かなと思います(^o^)
Split EQの良いところと気になるところ
概要を踏まえた上で良いところをまとめてみました。
トランジェントとトーナルを別々にコントロールできる
何が良いかというと、トランジェントとトーナルを別々にコントロールできることに尽きます。
これこそが今までやりたくてもうまくできなかったことなのです。正確には色々なテクニックで頑張って調整していたものがSplit EQだけでできるということです。イコライザーというよりはトランジェントデザイナーとでも言うべきプラグインでしょう。Waves Smack Attack等のトランジェントシェイパーの代わりになりうるプラグインです。
位相が良い
イコライザーというのはかけただけで音が崩れるもので、特にピアノやアコギ等ではイコライザーの位相の良し悪しが顕著に現れます。パッと聞きは良くても音の崩壊が激しいイコライザーというものがあり、簡単に言えば音がシュワシュワしてくるのです。イコライザーによって差が大きいのですが、中でもリニアフェイズEQは崩壊が少ないイコライザーです。
Split EQはただのイコライザーというよりリニアフェイズ・イコライザーに近い動作をしている印象で、強めにかけても音はあまり崩れません。したがって一般的なイコライザーとしても使うことができます。ただしビンテージ系とは異なり音色変化は少なめですので、キャラクターをつける使い方は向いていません。
ソロ機能が豊富&使いやすい
かなり重要なポイント。ミキシング知識がある程度あれば、説明書を読まずともほぼすべての機能が理解できるでしょう。また、ソロ機能が充実しており、聞きたい音だけ聞く事ができます。全体のトランジェントだけ聞くことも可能ですし、選択したポイントのトランジェントだけ、トーナルだけを聞くこともできます。
CPU負荷が高い
使っていてかなり高度な処理をしているので負荷が高そうだなとは思っていましたが、やはりCPU負荷は高いです。リニアフェイズイコライザーやiZotope Ozoneよりも多くのパワーを消費するようですので、使いすぎには注意が必要です。どうしてもSplit EQでなければできない音作り意外は一般的なイコライザーを使う方が良いでしょう。
実際の使用例
アコースティックギター
こちらはアコースティックギターでの使用例です。
ポイントごとに説明していきます。
- ポイント2:406Hz付近に不要な響きがありましたが、アタック感は残したかったので、トーナル(青)のみ5.3dBカット。逆に中低域のアタック感は不足していたので、トランジェント(緑)は2.4dBブーストして「ボスっ」としたアタック感を強くしました。
- ポイント5:556Hz付近に部屋鳴りのような不要な響きがありましたが、アタック感は残したかったので、トーナル(青)のみ8.6dBカット。
- ポイント6:キンキンとした耳障りなアタック音を下げるため、8.7kHzのトランジェント(緑)を4.8dBカット。トランジェント以外の響きもキンキンしていたのでトーナル(青)も1.4dBカットしています。
- ポイント1:全体的に低域をふくよかにしたかったので、シェルビングで390Hz以下を1.0dBブースト。このポイントはトランジェントもトーナルも同じだけブーストしています。
スネアドラムでの使用例
トータルのバランス調整:右のフェーダーでトーナル(青)のレベルを2.9dB下げています。この操作によって全体的にトランジェントの割合を高め、輪郭が強く埋もれにくい音にしています。トランジェントシェイパー的な使用方法です。
- ポイント3:楽曲に不要な鳴りだと感じた590Hzのトーナル(青)のみ9.1dBカットしています。トランジェントは維持しているので音のパンチは失われていません。
- ポイント5:楽曲で埋もれないようにスネアにスティックがヒットするアタック音4.6kHz付近のトランジェント(緑)のみ4.8dBブーストしています。音のバランスは変えずにアタックのトランジェントのみブーストした処理です。
- ポイント2:全体の重心を下げるため、シェルビングで466Hz以下を3.0dBブーストしています。
- ポイント6:高域の伸びを良くするため、シェルビングで2.3kHz以上を3.3dBブーストしています。
いずれも通常のイコライザーでは触りたくない音が一緒に動いてしまうというものです。Split EQなら無駄なイコライジングを抑えることができます。
さらに高度な使い方
トランジェントとトーナルの割合を変更する
初期値でも十分使えますが、トランジェントの長さを調整することが可能です。楽器によってはトランジェントが長すぎる、短すぎるという場合がありますので適宜調整しましょう。調整には下部のストラクチュラル・スプリット・コントロール(Structural Split Control)を使用します。
[TRANSIENT SEPARATION(トランジェントセパレーション)]はどのくらいの範囲をトランジェントとして扱うかを決めるパラメーターで、数値を大きくするととより限定された範囲になり、下げると範囲が広くなります。トランジェント成分だけをソロで聞きながら、音のアタック部分だけ聞こえるように調整しましょう。
続いて[Decay(ディケイ)]で長さを調整します。数値を大きくすると余韻が長くなるイメージです。トランジェントとトーナルの繋がりのスムーズさは[Smooth(スムース)]で決定します。どちらも初期値でも大丈夫ですが、トランジェント成分だけをソロで聞きながら、余韻の長さをとつながりが自然になるように調整しましょう。
ステレオ時のパンニングを行う
Split EQはステレオ使用時のみ、各トランジェントとトーナルのパンを動かすことができるのです。例えばステレオ録音したドラム素材に含まれるハイハットの音だけパンを動かすといったことが可能です。
画面下の[PAN]を選択すると使用可能になり、以下の画像ではポイント6のトランジェントのパンのみ少し右に動かしています。これは、ステレオドラム素材のハイハットだけ右に動かしたところです。
Split EQを紹介してきましたがいかがだったでしょうか。このEQは持っていると役に立つと思いますので、余裕があればぜひ手に入れてみてください。
Split EQマニュアル(英語です)
https://downloads.eventide.com/audio/manuals/plug-ins/SplitEQ+User+Guide.pdf
ミキシングを中心にレコーディングからマスタリングまで手がけるマルチクリエイター。一般社団法人日本歌ってみたMIX師協会代表理事、合同会社SoundWorksK Marketing代表社員。2021年よりYouTubeチャンネル「SoundWorksKミキシング講座」を展開中。過去には音響機器メーカーTASCAM、音楽SNSサービスnanaのマーケティングに従事。